関西ジャニ∞の横山裕さんは、歌って踊れて笑いで活躍してますが、そんな横山さんの家族構成弟や母について、生い立ちをエピソードも含めて徹底的に調べてみました。
本名:横山候隆(よこやま きみたか)
生年月日:1981年5月9日(34歳)
出生地:大阪府
身長:176cm
体重:60㎏
血液型:A型
好きな食べ物:肉
嫌いな食べ物:生野菜
特技:バスケットボール
趣味:ゲーム好き
職業:歌手・俳優
事務所:ジャニーズ事務所
横山さんの家族構成は。
横山さんの家族は全員で5人で、母(美奈子)・父・横山裕=本名(横山侯隆)きみたか、弟は二人いて6歳下の『横山勤』さんと8歳下の『横山充』さんで、兄弟とはすごく仲が良いみたいです。
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横山さん1歳4ヶ月と母親の写真です
横山裕の生い立ち。
★幼少期時代
横山さんが3歳の時に、両親が離婚することになり、実の父親とも離れてしまうことになり、それ以降は全く会うことはなく、母一人子一人の生活が始まったそうです。
そして横山さんが4歳の時に、母親が再婚することになり、6歳の時に次男が生まれ、8歳の時に三男が生まれたそうです。
また横山さんは、義理の父親から理由もなく棒で叩かれたりし、義父と合わなかった為、挙句の果てには、一人だけ母方の祖父母へ預けられることとなり、中学まで過ごしたそうです。当時は「しつけ」という親もいましたが、それは「虐待」になりますよね。
中学時代
横山さんが中学の時に祖父の体調が悪くなり、その後心臓病で他界したため、実家へ戻りましたが、またもや義理の父親からの虐待を受けていたそうです。ですが、母親が横山さんと弟二人を引き取って離婚をしたため、今度は横山さんが中学時代からバイトをして、家計を支えるようになったそうです。
また、高校受験の話もあったそうですが、経済理由から結局高校へは行かずに、建築会社で働いて家計を支えながら、ジャニーズJrの活動をするようになりました。ジャニーズJrでは食べていけないので、仕事が終わって、ジャニーズのレッスンという忙しい日々を送っていたそうです。
ジュニア時代の横山さん
中学生時代のエピソード
横山さんがジャニーズに入りたいと思ったのでしたが、ジャニーズ事務所の住所が分からず、放置していたところ母親が知らぬ間に投函してくれていて、中学3年生のときオーディションに合格し、事務所入りをしたそうです。
横山さんは進学の意思が無かったが、高校受験が決まっていたみたいです。でもジャニーさんに「(受験の日に)なにも無かったらハワイに行く?」と誘われて、嘘をつき受験をさぼってハワイへ行ったそうです。
その後建築会社に就職し、作業着でレッスン場に行くと出待ちのファンがざわついたため、駅のトイレで私服に着替え一人私服で通っていたそうです。
ジャニーズJr.としての仕事も忙しくなってきたので、建築会社を半年ほどで退職することになったが、会社の社長から「困ったことがあれば助けになる」と言われたことが、心の支えになったと横山さん自身が語っています。そして、その後は、日雇いの肉体労働などをしながらジャニーズJr.として働いたみたいです。
また悪質なジャニーズファンが家におしかけてくることを避け、大阪で一人暮らしを始める。このことにより、実家では弟とあまり長く過ごしていない。
関ジャニ∞デビュー。
2002年23歳に関ジャニ∞として輝かしくデビュー!その後2004年には「浪花いろは節」でCDデビューされました。
関ジャニ∞は、関西ジャニーズJr第一期生からできたグループで、関西出身のジャニーズのユニットKinKi Kidsに続くアイドル誕生!かと期待されていたのですが・・・他のグループとは違い華々しいデビューもなかったみたいで、人気がでるまで年月がかかったというジャニーズでは珍しい遅咲きタイプみたいです。
祖母他界。
横山さんは、祖母へ十代で無くなった祖父の曲を贈るために作っていたみたいですが、完成に間に合わず祖母は他界されました。その後、関ジャニ∞のメンバーから花が届いたエピソードなどを含めて完成したみたいです。
祖母への歌「413man」
横山さん自身は、CDを収めただけで披露する意思は無かったみたいなのですが、メンバーからの後押しで、3日間のカウントダウンライブでのみ披露したそうです。
その曲名は「413man」で、横山さんのソロになり『関ジャニ∞の3rdアルバム・PUZZLE』にはいっているみたいです。また、「413man」の読みは「じいさんまん」で4を「じ」と読むみたいです。
母親他界。
2010年5月に母親が、スーパーに買い物中に倒れてしまい、50歳という若さで虚血性心疾患で他界されました。母子家庭に育った横山さんは、青森でのソロコンサート開演4時間前に訃報を聞いたみたいですが、コンサートは予定通り開催したそうです。
事務所側も横山さんに「どうする?」と聞いたみたいですが、横山さんは「大丈夫やから」と言って、楽屋でもコンサート中も泣き崩れそうにもなったみたいですが、「迷いはなかった」「僕が笑ってステージに立たないで家に帰ったら、そんなのオカンも、イヤやろうなって」と語っていたそうです。
その後も公演スケジュールを予定通りにこなした横山さん、すすり泣く客席に「しんみりするなよ」と笑いかける場面もあったみたいです。
また、関ジャニ∞の8周年記念イベントパンフレット内でのインタビューで、当時を振り返り「人生で一番泣いた・・・後にも先にもあんな辛いことはない」と話し、同時に、葬儀にメンバーが全員が参列したことを「めっちゃくちゃ嬉しかった」「すごく誇れた」と語っていたそうです。
一方メンバーの大倉さんが「横山君が泣いてる姿を初めて見た」と語っており、「これからはオレらが横山君の家族にもならなあかん」と、葬儀の後、丸山さんの家に皆で集まり話しあったとも打ち明けています。
母親の思い出の歌「おにぎし」
横山さんは仕事を休まずツアーを続けるも、毎公演中に歌っていた母親を想い作った歌「おにぎし」で号泣し、歌えなくなってしまうこともあったそうです。
また、母親への愛は人一倍で、ライブでのMCでは母親ネタは鉄板だったみたいです。また「オニギシ」という曲は、幼少期の母親との思い出を歌にしたもので、それもまた母親への愛を表現しています。ソロツアーでお母さんを前にして披露したそうです。
おにぎしの歌詞作り
横山さんの小さい時、オニギリって言えずにオニギシって言ってたみたいで、そんな歌詞が出てくる母親に向けた曲で、また、エレベーターをエベレーターとも言ってたみたいで、「子供は言葉をかむなあ」と思い出しながら、しょっぱかった母親のオニギリなど自らの体験も交ぜながら歌詞を作られたそうです。
母親の性格
母親が生前の時に横山さんは母親の性格を、性格は適当だけど心配性で、めちゃくちゃ何回も電話してくるみたいですが、横山さんが電話してくるなと言ったみたいなので、だいぶ減ったみたいです。でも、やっぱり、できるときに何かしてあげな~と思います。と語っていました。
また、おばあちゃんやおじいちゃんが亡くなって、より一層そう思うようになったみたいで、コンサートを見に来ることが楽しみであれば、来てもらって楽しんでもらえればいいなって、そして、体にだけは気をつけてほしいと思っています。とも語っていました。
横山さんの弟は。
横山さんの収入で弟2人を食べさていて、2人とも大学まで通わせていたそうです。
今では、二男はすでに就職して社会人となっていますが、三男は大学と専門学校へ進学し国家資格取得を目指しているようです。また、ラジオ番組にも弟さんを生出演させたことがあったり、ライブでは映像出演させたこともあるみたいです。
現在も横山さんは弟思いで、お正月には熱愛の噂される彼女と弟2人を連れてお出かけしたとも言われています。
貴重な弟の動画!
父親は?。
横山さんがこれだけ苦労しているのにも関わらず、実の父親が離婚以来会えてないみたいですが、離婚の理由がどうであれ、経済的な援助ぐらいはするのが義務ではないでしょうか・・・。
父親がキムチが好きみたいで、横山さんはキムチの臭いを嗅ぐと父親を思い出すからキムチが嫌いだとか、また、公の場で『お父さん』ではなく『おっさん』と呼ぶと言う噂があります。
最後に。
横山さん大変なご苦労をされているんですね・・・。いつもテレビでは笑顔の横山さんですが、そんな過去があったなんてあの笑顔をみていると信じられませんね・・・。とても家族おもいな所すごく素敵だなぁと思いました。きっと亡くなったおじいちゃん・おばあちゃんそしてお母さんはすごく喜んでいらっしゃるでしょうね。横山さんのこれからのますますのご活躍を心から祈っております!
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